水の映画 | |
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七里 |
いや、あのー。すごい撮影上手いですよね。 処女作ですか、最初のやつは? |
金子 |
はい。 |
七里 |
上手い人ってのは最初っから上手いんだなって。一本目からすごく、センスを感じる。僕はだから、上手いな、この人と思いながら、今回、上映作品を見せてもらったんですけどね。 |
澤 |
今回まとめて処女作から、8ミリの作品あり、16ミリの作品あり、最後にビデオの作品なんですけど、七里さんも元々そういった8ミリから始められて、劇場の作品まで作られてますけど、七里さんも自ら撮影されたりするわけですよね? |
七里 |
はい。でもきっと金子さんの方が上手い(笑)。 |
澤 |
今回金子さんと七里さんにお話を是非、と思ったのは、金子さんのプログラムを計画中に七里さんの作品『眠り姫』も見させて頂いて、両者の作品の登場人物が、はっきりと輪郭のない人たちというか、魂が飛んじゃっているような人たちがいて、その代わり風景や光景が妙に生々しいところがあって、それは多分に撮影の力もあるのだと思いますが、そういうテイストに、お互いに感ずるものがあったりするのではないかと思ったのです。金子さんもこの10年くらいの間作品を撮っていて、今回のプログラムタイトルも『水難奇譚』とさせて頂いたのですが、何かそういう、地霊といったら変ですけど、そういうものに興味があるのかなって思いました。どちらかというと、人が出てきてお話を進めていくより、川辺に「何か」を感じているみたいな・・・ |
金子 |
そうですね、今日最初に上映したのが処女作なんですけども、映画を撮り始めようと思って、一番最初に対象を探すじゃないですか。そのときに、水、というか川を撮ろう、というところから始まって。場所とか、そういったものを撮っていきたい、そこから何か作品を作れないかと思って、始めていったんですよね。一番最初は本当に、人物も何もなしで風景を撮り始めて、だんだん人間もその中に入れていきたくなって。で、最近の『すみれ人形』ではもっとお話というか、物語を導入する方向にはなってきているのですけど。ただ、人物がいて、背景に風景があるっていうよりは、もっとそこが、一緒になって欲しいというか、風景と人物は同じであって欲しい、そう思ってやってはいますね。 |
<中略> | |
七里 |
こう言っては乱暴かもしれませんが、物語とか、撮りたいことがあって、被写体が画になる以前にあって、それを映像、映画とするために仕方なく撮っている、ていう・・仕方なくって言い方だとすごく乱暴なんですけど(笑)そういう人もいますよね。世の中の映画監督であったり、映像作家であったり、ドキュメンタリー作家であったり。でも多分、金子さんなんかは、こういう画を撮りたい、っていうことが、あるいはこういう画が撮れちゃって綺麗だ、っていうことが、何を撮りたいっていうことよりも先に出ているか、同時ぐらいにあるのではないかと思ったんですけどね。それと、水辺を選んでいく傾向っていうのは、何かあったりするんですか?記憶の中とかで。 |
金子 |
水自体は、何故なのか分からないですけど、子供の頃からすごい何か、惹かれるものがあったというか。幼少時代から例えば噴水とか、そういうものが異様に好きだったんですよね。自然と、いざ何か撮るってなった時に、心理であったりとか、人っていうよりも、最初に出てきたのがその水っていうものだった、という。で、そこから作品を撮り始めて、ある意味では、最初にこういう物語を作りたいっていうところから映像を撮り始めているのではなくて、映像に物語を与えていくというか、そういう形でやってきたんだろうな、ということは思いますね、自分では。 |
七里 |
写真と違うじゃないですか、映像って。だから時間の流れの中で表現をするものだから、そう考えると水って動くから、どうしたって動くじゃないですか、あるいは止まってたりする。すごく映画的な良さですよね。マテリアルとかね。しかも反射したり、光を吸い込んだり、そういう意味でもすごく、いいですよね、何言ってるんですかね(笑)、いいなあと思って(笑)。 |
金子 |
そうですよね(笑)。 |
七里 |
意識的にもう「僕は水の作家だ」と思って続けているんですか?それともそう言われるから? |
金子 |
最初、8ミリで撮り始めて、16ミリでも撮って、その頃は自分も物凄く水にこだわってやっていたんですけど、『すみれ人形』の時なんかはもう、「自分は水の作家なんだ」というようなことは全く意識しないでやっていて。ただ今回まとめて自分の作品を上映させてもらうことになった時に、「水難奇譚」というタイトルを付けて頂いて、あらためて見ると確かに・・ |
七里 |
滝がね。 |
金子 |
そうですね、『すみれ人形』も水の映画なのかな、という風に思ったのですけど。 |
フェティッシュ・奇異なるもの | |
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七里 |
画質とか絵に対してすごく生理的なものがあるんですね、金子さんは。 |
金子 |
と、思いますね。 |
七里 |
それは何か見ててすごく感じるんですよね。フェティッシュな人だなって。 『すみれ人形』も、趣味全開の話ですよね。どういうところからああいうことになったんですか? |
金子 |
どういうところというのは? |
七里 |
まあ、話にせよ・・映画美学校(製作)の作品ですよね。 |
金子 |
そうです。シナリオの段階で、すごい抽象的なんですけど、七里さんも『ホッテントット〜』で人形を使っていらっしゃいますけど、人間と人形、というイメージがあって、「人間が人形になってしまう」っていう。そこから話を発想していったんですね。で、(シナハンのため)浅草の芸人さんとかを見に行ったときに、浅草寺の前におっちゃんが露天をやっていて、そのおっちゃんが、水に入れると膨らむ玩具みたいなのを売っていて、それで自分の内的な声で、自分の声とは違う(裏)声で、喋っているんですよ、一人で。誰が見ているわけでも無いんですけど。 |
七里 |
ああ、じゃあ複数の腹話術をやっている? |
金子 |
そう、それぞれの玩具の生き物の声を出すんですね。誰に聞かせるわけでもなく、呟くようにやっていて。それを見たときに、その内的な声が面白いな、と思って。『すみれ人形』は腹話術が出てくる映画なんですけど、そういうことがあったんですよね。 |
七里 |
大和竺さんの『愛欲の罠』という映画があって、それにも腹話術師が出てくるんですよね。 |
金子 |
ああ、見てないんです。 |
七里 |
何かそういう、こんな映画が好きだったみたいなのは、どんな感じですか? |
金子 |
好きなのは、初期の作品を撮っていたころは、結構ベタですけどタルコフスキーとか好きだったんですよね。 |
七里 |
『ノスタルジア』とか『鏡』とか・・ |
金子 |
はい。で『すみれ人形』の頃は、ピンク映画とかホドロフスキー(に影響を受けて)・・ |
七里 |
ああ、ホドロフスキー好き・・また変態ですね。 |
金子 |
(笑)結構そういう変なのが前面に『すみれ人形』は出てて・・。 |
七里 |
ホドロフスキーでは三本でどれが好きですか? |
金子 |
僕が一番好き、というかクオリティが高いな、と思ったのは『サンタ・サングレ』ですね。 |
七里 |
『サンタ・サングレ』ですか、それは珍しいですね。 |
金子 |
そうですね。『サンタ・サングレ』で、感動したというか。 |
七里 |
僕はね、『ホーリー・マウンテン』。 |
金子 |
いいですよね。 |
風景と流動性 | |
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七里 |
話飛んじゃいますけど、映画作ろうと思ったのは、どういうことからそうなったんですか? |
金子 |
さっきも話しましたけど、こういう映画を見てこういうのが撮りたい、こういう物語が、とかそういうモチベーションは無かったですね。とにかく、何かしらでモノを作りたい、表現をしたいというのはあって、いろいろ絵とか・・ |
七里 |
あ、絵とかそういう・・ |
金子 |
そうですね、そういうのもちょっとやったりしていて・・。ただその、映像をちょっとだけやった時に、映像が面白いなと。100%自分だけで、絵の場合だと仕上げるじゃないですか。そういうものよりも他のものをもっと取り入れて、風景であったりとか。そういうほうが自分は面白いなと思って、映画をやり始めた、映像をやり始めたというのはあるんですけど。 |
七里 |
ロケーションが素晴らしいですよね、どれも。 |
金子 |
ありがとうございます。 |
七里 |
自分で見つけてくるんですか? |
金子 |
そうですね。だいたい自分ですね。 |
七里 |
ということは野山を駆け巡ったり・・ |
金子 |
そうですね(笑)。 |
七里 |
趣味は、ワンダーフォーゲルとかそういう? |
金子 |
そういうわけではないんですけどね(笑)。たまたま、行って見つかることが多いというか。あんまりロケハンに行こうという感じで見つけたところではないんですよね、使うところは。 |
七里 |
なるほどね。 |
金子 |
たまたまどこか行くときに、通りかかって、あ、あそこが、みたいな。それで接近したらすごい面白い、という。澤さんが最初に地霊って言葉を仰ってたんですが、場所から発想していくっていうところがあるのかな、と。 | 七里 |
じゃあ、今日上映した16ミリの作品は、あれはあの場所から考えた? |
金子 |
あれは完全に場所でしたね。熱海が、当時すごい廃墟化していて、今はもう、ほとんど綺麗にしてしまったんですけど、99年頃にはすごくて、そこで友達が熱海の町全体で、アーティストたちがいろいろアートをやるっていう、そういうことをやっていて。それを見に行ったときに面白いな、と思って。 |
七里 |
それは何か、企画があったんですか? |
澤 |
熱海ビエンナーレ・・ |
金子 |
一回で終わっちゃったんですけど(笑)。 それで、ちょうど作品を作りたいな、というのがあって。で、大まかなプランはあったんですけど、そこに行ったときに、あ、すごくいいなと。結構そこから発想していったと思います。 |
七里 |
20世紀末くらいって、ちょっと廃墟ブームみたいなのがありましたよね?ちょうどその頃ですか? |
金子 |
そうですね。だから、今はほとんど減っていて、どんどん壊していってしまっているんですけど・・。 |
七里 |
もったいないですよねぇ。 |
金子 |
そうですねぇ・・。だから『すみれ人形』の撮影の時も、廃墟で撮っていて、撮影をしに何回かロケハンしていて、廃墟を廃墟ではない設定にセットすることになって、事前に準備をして役者さんとスタッフとみんなでいざ撮影に行ったら、ちょうど壊し始めていて、建物が半分なくなっていて。それで準備したものも全部外されていて。だけど、使うはずだった部屋だけは残っていたので、どうにか撮影はしたんですけど。 |
七里 |
それは、許可を取らずにやっていたんですか? |
金子 |
そうですね(笑)。 | 七里 |
だけど、半分壊されているっていうのは、それは使えそうですよね。 |
金子 |
そうなんですよね・・。だけどそれが廃墟(のシーン)ではなくて、生きているスペース(のシーン)を廃墟の中で撮りたかった、というのがあって。 | 七里 |
なるほどね。だけど、そうは言っても、場所に突き動かされて流動的になっていくのではなくて、やっぱりある狙いを持って撮っているという・・。 |
金子 |
映画を作り始めた頃は、けっこう流動的だったんですけど、ただ、あまりにも流動的にやりすぎて、結局何に向かっているのか分からないっていうことになってきて。それで、落としどころというか、何に向かうか自体はなるべく固めようと。 |
七里 |
決めようと。 |
金子 |
そうしてはいるんですけど、ただ『すみれ人形』の時は本当にシナリオががっちりあって、かなりシナリオに忠実にやったので、自然であったり光の変化であったりそういった(現場で起きた)ものの取り入れがもっと、欲しかったなと。けど、すごく難しくて、芝居との兼ね合いとか色々ありますよね。 |
七里 |
人数が多くなれば多くなるほど、流動的にやりにくくなるんですよね。 |
金子 |
そうですよね。 |
<中略> | |
七里 |
僕は助監督育ちなので、むしろその流動的になっていくことをどんどん段取っていくっていう仕事を、十年近くやってきたのに、いざ自分が撮ることになると、そういうことをぶち壊したくなるんですよね(笑)。それで、結果的に言ってたことと違うことをやり始めたりとかして、(スタッフに)怒られたりしますよね(笑)。始めに想定して何かを作るっていうのは頭の中のものじゃないですか。たぶん金子さんも、考えていることをそのままカメラに捉えたい、というよりは、カメラで捉えられたものの美しさであったり、衝撃であったりに、没入していくほうだと思うんですよね。そう考えると、実際に予定していたものより、美しいものがあったりすると、そっちを撮ったほうがいいんですよね、結果的にはね。それは聞いてないよと(笑)、言われちゃうわけですよね、やっぱりね。どうしてるんですかね、みんなね? |
金子 |
七里さんの最近の作品、『眠り姫』の時とかは、七里さんが回す部分と、カメラマンが回す部分があるわけじゃないですか。 |
七里 |
そうですね。『眠り姫』はむしろ、そういった呪縛から解き放たれたいと思って。ということもあって、狙いではあったのだけれども、人を出さない・・風景を撮ることほど、自由なことはなくて。そこに人が入ってテストして本番、みたいなことになると、特に役者を色々ケアしなきゃならないってことが入ってくると、絶対に臨機応変になんて難しくなるんですよね。でも風景を撮るだけだったら、その時いいものを撮ればいいわけでしょう。失敗したらまたやればいいだけだし。こんなに楽しくて、きりのないことはないなと思って(笑)。だから二年近くやってた。で、二年近くやり終えたときに、これはすごくいい方法だと思って。思ってたのだけども、いつまでも究極を求めてやり続けるわけだから、こんなに辛いことはないとも思って。もうやめよう、と(笑)。二度と風景映画は撮らないと、その時は思いましたね。 |
金子 |
最終的に、ナレーションとか、音楽とか入ってきますけど、風景を撮っているときに、構成っていうのは、どういう風に考えてやっていらっしゃいましたか? |
七里 |
『眠り姫』っていうのは特殊な映画で、先に音を作ってた。先に台詞をとっちゃう。で、そうすると、のりしろはあるんだけど、ある意味でスケールは出来るわけです。この会話はここからここまで、そこにどう画をつけていくか。たぶん何もない状態で風景映画を撮り始めたら、まだ終わってないでしょうね(笑)。 |
金子 |
先ほどもした撮影の自由度、流動性の話なんですけど、今度公開される『マリッジリング』のような商業の作品もやっていらっしゃるじゃないですか。『ホッテントット〜』や『眠り姫』を撮る時と、『マリッジリング』を撮る時では、スタンスは全く違うものですか? |
七里 |
いや、それはね、すごく難しい質問で、何も変わってはいないんですよ。そんなに器用な人間ではないので、ひとつのことしか、たぶん僕は一生撮れないと思うんですよ。でも僕、哀しいかな、Vシネとかの助監督を10年近くやってきたので、『マリッジリング』みたいなもののほうが得意なんですよね。職能的にはね。だから低予算で、限られた日数で、最初の『のんきな姉さん』もそうそうたるスタッフで撮ったけども、実は二週間かけてないんですよね。10日ちょいしかなかった。だから、『マリッジリング』なんかもっとないんですけど、1週間強しかなかったんですけど、そういうもののほうがね、水は合わないんだけど(笑)、なんか勝手に体が動くんですよね。 |
金子 |
ああ、沁み込んだものが。 |
七里 | だからね、とっても楽でしたね。逆にイメージフォーラム・フェスティバルで今年やってもらった『ホッテントット〜』とか、『眠り姫』とかのほうが、作品に生身でぶつかっていかなきゃいけない分、ヘビーだっていうか。 |
金子 |
なるほど・・・(二人しばし頷きあい) |
澤 |
じゃ、そろそろ時間もきてしまったので、申し訳ないですけど・・・。 |