金森穣
(演出振付家/ダンサー/Noism芸術監督)
刹那なる身体の暴力性と精神性、そして物質性に宿るエロティシズム。それらを観念ではなく、極めて身体的に感じさせてくれる『すみれ人形』は、
映画も身体芸術であるという事を舞踊家に教えてくれる。
柳下毅一郎
(特殊翻訳家・映画評論家)
畸形への偏愛が映画を輝かす。妖しくも美しい二人羽織のストリップショーに酔え。
早見純
(漫画家『純の魂』『ラブレター フロム地獄』ほか)
“品格あるエロ致死ズム”を目指す私には理想的な作品でした。最近これほど一場面一場面が記憶に残る映画があっただろうかと、思いめぐらす
観賞後の帰り道でした。
松井良彦
(映画監督『追悼のざわめき』『どこに行くの?』ほか)
恋する者を奪われた二人の男の想いが“闇=冷たい「妖」”に入り込む。
すると、止めることのできないコンプレックスが、奪われた者と同一になりたいという
狂った純愛への衝動を突き動かす。
繊細でか弱い愛のひとつの形である。
瀬々敬久
(映画監督『サンクチュアリ』『ユダ』ほか)
樹、水、廃墟、そこには人間と同様に精神があると思っている節がある。
いや逆に、人間もそれらと等しく空っぽの空洞だと言いたいだけかも知れない。
金子は今日珍しく仏陀的な男で、これは今どき挑戦的な信仰についての映画なのだ。
七里圭
(映画監督『眠り姫』『マリッジリング』ほか)
金子君の映像はどの作品も、ひたすら美しい。
彼の空間の切り取り方、光の捉え方には、非凡なセンスを感じる。
そのセンスは、官能性なんだなと、『すみれ人形』を観て分かった。
井土紀州
(映画監督『ラザロ』『百年の絶唱』ほか)
こだわり、選び抜かれた風景や空間に人物が配置され、これ以上はないという的確さで
カメラはその様を切り取っていく。そこでは風景や空間が持っている歴史性は捨象され、
人物たちも極めて個的な動機に突き動かされて生きている。
だから、この映画は精緻に作りこまれた箱庭のように美しく、万華鏡を覗きこんだ時の
ような眩暈を覚える。
まるで、世界は、ただ美のために存在しているかのように錯覚させられるのだ。
松江哲明
(ドキュメンタリー監督『童貞。をプロデュース』ほか)
廃墟や森や滝よりも、女性が美しい。彼女らの仕草やふとした動きがエロ。
例えばそれは男子が木陰からこっそり見、憧れる視点。
この監督の『恋空』が見たかった。
金井勝
(映画監督・映像作家『無人列島』『王国』ほか)
類稀なる映像感覚を持つ金子雅和が、遂に“ぎりぎり”の快作・『すみれ人形』に辿り着いた。
“ぎりぎり”の状況下で“ぎりぎり”の展開を試みるこれは、その本気さで有無を言わせず
観客を銀幕に誘い込み、その右腕を“きりきり”と縛り上げるー!
高間賢治
(撮影監督『デスノート the Last name』『真木栗ノ穴』ほか )
昔、乾燥したハリウッドで研修生活を送っているとき、よく日本の湿り気のある風景を夢に見た。
僕はその夢の中でシャッターを切った。 『すみれ人形』は渇望していた湿った風景に溢れている。
物語も充分に日本的に湿っている。 商業映画には有り得ないほど湿っている。
松井良彦監督の名作『追悼のざわめき』の系譜を持っていると言えるのではないか。
大林千茱萸
(映画感想家・映像作家・『HOUSE』原案ほか)
監督が世界観を創造するために、画面の中で何を描きたいかをきちんと計算し、綴り、納めている。
それは一分の隙もないほど濃密に、丁寧に、映像として醸造されている。
『すみれ人形』は決して「偶然に頼ってない」。
筋の通った演出から監督の「想い」や「願い」が見えてくる。
※順不同、敬称略